人物紹介

若宮正子84歳現役プログラマーの今は?人生の楽しみ方について調査!

「若宮正子」の画像検索結果こんにちは! マールです。

82歳の時につくったゲームアプリ「hinadan」が米マイクロソフトや米アップルの目にとまり、一躍「時の人」になった現役女性84歳プログラマーの方をご存じですか?

AIスピーカーやスマホも自己流で使いこなすスーパーおばあちゃん若宮正子さん定年後のセカンドキャリアがとんでもなくすごい方です。会社員時代のキャリアや若宮正子さん流第二の人生の楽しみ方について調べてみました。


若宮正子さんの主な経歴

名前 若宮正子(わかみや・まさこ)
生年月日 1935年
出身地 東京
最終学歴 東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)
職歴 三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)
家族構成 独身
経歴 ◆定年をきっかけにパソコンを独自に習得し、TED Talkにも登場
◆2017年81歳にして独学でプログラミングを習得し、約半年でiPhoneアプリ「hinadan」をリリース。
◆同年、Apple社の世界開発者会議(WWDC)に特別招待される。
◆創設に参画したシニア世代向けのサイト「メロウ倶楽部」の副会長、NPO法人ブロードバンドスクール協会の理事も務める
◆2019年2月国連本部の会議で英語でスピーチを披露
◆近著に
『60歳を過ぎると、人生はどんどんおもしろくなります。』(新潮社刊)独学のススメ

若宮正子さんの今 80歳の冒険!国連で英語のスピーチ

「最高齢の開発者」としてApple社の開発者会議に招かれ、CEOティム・クック氏とも面会したことで一気に注目を集め、今や国際的な大きな会議に招かれたり、2019年2月国連本部の会議で英語でスピーチを披露。政府の「人生100年時代構想会議」の最年長有識者メンバーに選ばれています。

会社員時代に「英語ができたら便利かな」と思って英会話学校で学び始められます。通勤中の耳学習で準1級取得。80代になった今も、「英検の勉強の“残り香”で海外旅行も英語スピーチも困らない」とか。2月には国連本部の会議でもスピーチをされています。

みなさんから温かい拍手をいただきました。特に緊張はしませんでしたよ。練習ではつっかえたりもしたんですけど、私はわりと本番に強いみたい(笑)。英語じゃなくてもいいと言われてましたけど、自分の言葉で話したほうが訴える力があると思って。今回は私に“サポート部隊”がついてくださいました。その人たちのなかに英語ができる方がいるので、文章や発音を直してくださったり。私が作ったプレゼン資料のブラッシュアップもしてくださいました。今回、NYへの渡航費も宿泊費も自前だったんですけど、せっかくの機会だから行ってみようと。そうしたら、何人かのサポーターの方たちが交代で休暇を取って来てくださったんです。Airbnbも用意してくださって、私がひとりぼっちにならないようにって。サポータの方とは長年やっているNPOの仕事などで出会った方々です。あとは2014年に出たTEDxTokyoの講演をご覧になった方とか。Facebookで知り合いが増えて、自然と応援団ができちゃったの(笑)


若宮正子さん80代に入ってからアプリを開発。その原動力は?

若宮正子さんが20年前に作った自のホームページには
「ありあまっているもの、好奇心。足りないもの、時間」って書いてあるそうです。ずっとそれが続いているといいます。80歳を過ぎてからは“エイティーズの冒険”と称して、何でも冒険するようにしています。戦後、海外渡航が許可された時代、すぐにひとりで出かけて行かれたそうです。そこで日本の常識と海外の常識の違いを知り、常識はひとつの「見解」と心得るようになるそうです。

常識が必ずしも常識ではなく、単なるひとつの見解に過ぎない。日本のような狭い国だとみんなが騒いだら大変だから静かにしようとなるけど、人が多い国なら大きな声を出すのが普通。国内でも10代と80代の常識が違うように。共感できることはするし、できないことは理解するしかないんじゃないかと思います。同感はできなくても、理解はできると。
今回の国連行きで、つくづく思ったことがあります。やり取りをしていた担当官の方はメールだけなのに、ぴったり私に寄り添ってくださって、気配りのできる優しい方でした。それで寒いなかNYの国連の正面入口前で立っていたら、「マサコー!」って現れたのは男性だったの。私もサポーターもみんな女性だとばかり思っていたから、もう驚き。トルコの方だったんですけどね。
日本だとすぐ男か女か、どこの国の人かとか先に考えちゃうけど、性別や国籍は関係ないんだって。逆に知らなければ、枠や常識にとらわれずにコミュニケーションができる。メールだけでもその人が信頼の置ける人かわかりますよね。コミュニケーション能力のあるなしという話もありますけど、それよりも本当に自分に伝えたい気持ちがあれば、伝わるものだと思います。

人間関係で悩んでいる私たちにもとてもささる言葉ですよね。

若宮正子さんの会社員時代について

銀行入社時、事務職で採用されます。当時の様子についてこう語られています。

お札は指で数えて、計算はそろばんでしょ。そういう時代は頭脳よりも、与えられた仕事を素早くきちっとできる人、今で言うロボットに近い人がいい社員だったんです。そのうち機械化が進むと仕事も営業とか、お客さんを増やす方向にシフトしていきました。私も営業を経験しましたけど、いろいろ思いつくほうだから業務提案とかが好きだったんですね。そうしているうちに「企画開発部門はどうだ」ということで転勤になったの。
当時は職が得られるということがものすごく大事で、働き口があること、会社でお仕事させてもらえることが何よりありがたかった。銀行は比較的、お給料もよかったですし。私は学童疎開の最後の年代で常に飢餓状態に置かれていたから、おいしいとかまずいとか贅沢を言ってる場合じゃなかったのね。その何よりありがたいものが“食”から“職”に変わった。だから当時は仕事が大変とか、そういうことをことを発想する人があまりいなかったんですよ。

管理職も経験。部下の幸せを願い背中をおす上司として活躍

当時、海外には女性の管理職もいるということで、日本の大企業も女性管理職を増やそうという動きが出始めたころ。40代半の1970年代の終わりぐらいに管理職になられます。
上司にも恵まれて、女性だから差別されるというようことはなかったそうです。企画開発の部門なので、縦割りの構造ではなく、プロジェクトチームを作って一緒にやるというわりとフラットな関係で仕事ができたそうです。転職に悩んでいた部下の男性に「このままいても芽がでない。」と転職の後押しをされます。優秀な部下ほど引き留める事が常識ですが、人生は自分が決めるもの。その人自身が自分らしく幸せに生きるべきという考えの基に背中をおされたそうです。その方は某IT企業のトップマネージャーになっているそうです。

若宮正子さん流幸せに生きるコツ

自分が幸せなのかとか、考えたことがないといいます。

上司や部下友人やサポーターの人々に恵まれてはいると思うし、人に聞かれればたぶん幸せなんだろうっていうぐらいで、もし体が弱かったらこれだけの人生を送れなかったかもしれないとは思うが、幸せになるにはどうしたらいいかとか考える暇はなかったといいます。幸せになろうと努力するよりも自分がやりたいこと、やったら楽しいだろうと思うことをやるのがいちばん。

◆人からどう見られるかは関係ない

◆たとえ人からは不幸せに見えても、本人が満足していればいい

◆いろんな人と話をすると自分自身のことまで気づきがあって勉強になる。それが自己成長に

◆人の目より自分を大事に。女らしくよりも、自分らしくがいちばん

 

以上最後までお読みいただきましてありがとうございました。


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