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京都で血の天井養源院(ようげんいん)はどこ?他に見れるお寺もありました。

 

こんにちは! マールです。
血に染まった天井(血天井)ってご存知ですか?

とても恐ろしい名前の天井ですね。実は京都にこの血に染まった天井(血天井)を見る事ができるお寺が複数あるようです。どこで見る事ができるのか調べてみました。


血に染まった天井(血天井)って何?

血天井とは、寺院などで天井として使用することで自害などで亡くなった武士の供養を行う為に作られたそうです。自害した武将やその家族や家来達の血で染まった床板は、今もくっきりと消えることもなく、何百年と赤く残っているのです。
よく見ると、この血天井には血で染まった人の手形や、足の跡、または顔のようなものまで映し出されているものもあるとの事です。
「血天井 画像」の画像検索結果
実は、血天井は同様の理由で全国各地の寺にあるそうなのですが、テレビでよく取り上げられ、有名なのは、京都の養源院というお寺です。
こちらの血天井が作られた有名な物語がありました。

京都養源院の血天井の物語は?

京都市東山区にあります浄土真宗遺迎院派(じょうどしんしゅう けんごういんは)の寺院です。
京都養源院は、戦国時代浅井長政と織田信長の妹、お市の方との間に生まれた三姉妹
長女、茶々(淀君)初(常高院)江(祟源院)のゆかりの地でもあります。

秀吉の側室・淀君が父である浅井長政の21回忌供養の為にと秀吉に願い出て創建されました。しかし、その後、1615年には大坂夏の陣にて、淀君と秀頼は大阪城にて自害してしまいます。これで事実上豊臣家は滅亡します。

更に1619年に養源院は火災で消失してしまいますが、
淀君の妹で、徳川2代将軍・秀忠に嫁いだが再建
そのときに伏見城の床板をはがし、「血天井」が作られたといわれています。
豊臣に嫁いだ姉が建てた寺を、豊臣を倒した徳川に嫁いだ妹が再興し、
更に江戸時代になると徳川家の菩提寺になるという、とても不思議な縁を感じるお寺ですね。

京都養源院の血天井は誰を供養しているのでしょうか?

「京都養源院 血天井」の画像検索結果
養源院では、長い棒で天井を指して「ここに、こうやって鳥居元忠公の顔が…」と説明してくださるそうです。鳥居元忠(とりいもとただ)という武将を供養している事がわかります。
「京都養源院 血天井」の画像検索結果

鳥居元忠(とりいもとただ)とはどんな武将だったのでしょうか?

「鳥居元忠(とりいもとただ)」の画像検索結果
この武将は徳川家康が幼少の頃。今川家に人質にだされていた頃からの側近だった人物です。
豊臣秀吉が1598年8月18日にこの世を去って2年後の1600年、家康は豊臣家 家臣の石田三成と激しく対立していました時、家康が会津の上杉家を討伐する為に、京都伏見城を離れる事となります。元忠と酒を酌み交わし、ここ伏見城を捨て石にしていくことを家康は詫びながら伝えます。
大阪の石田三成が挙兵すれば、真っ先に襲来されるのはここ伏見城であることは誰の目から見ても明らかでしたが、鳥居元忠(とりいもとただ)はわずか1800名の兵と共に三成の総勢約4万の兵との闘いを決意し、家康を守る事を決意しました。
ついに元忠は、2週間後の8月1日、ついに最期の時を迎えます。本丸にいた鳥居家の家臣およそ350人余りが討ち死に、または自刃。壮絶な最期を遂げたそうです…。
三成らを10日以上足止めし、その後の進軍を遅らせ、結果的に家康の勝利に導く事ができたのです。

忠義の家臣 鳥居元忠を供養するために床板を天井へ

元忠らの亡骸は関ヶ原の戦いが終わるまでの間、そのまま放置されていたといいます。
そのとき、血糊がこびりついてしまった伏見城の床板。関ヶ原の戦い後、これを見た家康は元忠らの忠義に感激。彼らを供養するため、養源院をはじめとする徳川家にゆかりある寺院でこの床板を保存することにしたそうです。
天井板にしたのは、忠臣らの心があるとして、決して誰にも踏まれることがないようにするためそして、彼らの魂を成仏させる為に、日夜読経が流れる寺院は最適な場所。だったそうです。
伏見城で壮絶な最期を迎えた元忠を、家康は忠臣として讃え、そして忠臣らの血で染まった床板を各地に送り供養の為に寺院などで再利用することに決めたのです。
その一つが徳川家の菩提寺となった養源院なのだそうです。
このように伏見城から分けられた血天井は全国にありますが、都市内で養源院含め計6か所の寺に現存するようです。

京都市内で「血天井」のある寺院の基本情報とアクセスまとめ

養源院(ようげんいん)

住所 京都市東山区三十三間堂廻町656
電話番号 075-561-3887
アクセス 京阪電車 七条下車 徒歩約7分市バス 博物館三十三間堂前/東山七条下車 徒歩約3分
拝観時間 9:00~16:00
定休日 12月31日、1月、5月、9月の各21日午後
拝観料

最新の情報は京都観光オフィシャルサイトでご確認ください。

正伝寺(しょうでんじ)

「正伝寺」の画像検索結果

鎌倉時代に創建された古刹。「応仁の乱」で衰退したが、秀吉の援助で再興されました。その後家康も援助し、本堂は伏見城から移築され、「血天井」がつくられたそうです。
獅子の見渡し庭園で有名。

住所 京都市北区西賀茂北鎮守庵町72
電話番号 075-491-3259
アクセス 神光院前下車 徒歩約15分
※最寄バス停から徒歩約15分京都駅から西賀茂車庫行 9系統
三条京阪から西賀茂車庫行 37系統
北大路バスターミナルから西賀茂車庫行37系統・1系統
拝観時間 9:00~17:00
定休日 情報なし
拝観料 大人400円 高校生400円 中学生300円 小学生200円

最新の情報は正伝寺オフィシャルサイトでご確認ください。

天球院(てんきゅういん)注意


秀吉が気に入っていたと伝えられる「妙心寺」の塔頭で、秀吉に仕えていた池田信秀の三女・天球院のために建立された。本堂の東西廊下に「血天井」があります。

拝観寺ではないそうです。特別拝観イベント期間のみ拝観できます。
公益社団法人京都市観光協会 075-213-1717
(10:00~18:00/12月29日~1月3日を除く)にお問い合わせください。

住所 京都府京都市右京区花園妙心寺町46
電話番号 075-491-3259
アクセス JR嵯峨野線「花園駅」から徒歩10分、またはJR「京都駅」から26系統の市バス「妙心寺北門前」すぐ
拝観時間 9:00~17:00
定休日 情報なし
拝観料 600円

最新の情報は公益社団法人京都市観光協会オフィシャルサイトでご確認ください。

源光庵(げんこうあん)

秀吉と縁の深い「大徳寺」2代目・徹翁義亨国師が建立した寺院。秀吉は大徳寺で織田信長の葬儀を行った。本堂に「血天井」があり、丸い「悟りの窓」と四角い「迷いの窓」で知られる名刹。

2019年6月1日より庫裏改修工事のため、拝観を長期休止されています。
(拝観再開予定 2021年秋頃)

住所 京都市北区鷹峯北鷹峯町47
電話番号  075-492-1858
アクセス 市バス「鷹峯源光庵前」下車
拝観時間 9:00~17:00
定休日
拝観料 大人 400円(中学生以上)
※11月は500円
子供 200円(小学生)

最新の情報は源光庵オフィシャルサイトでご確認ください。

宝泉院(ほうせんいん)

秀吉の義理の甥にあたる木下勝俊の正室の名前が「宝泉院」(関連は不明)。木下勝俊は「伏見城の戦い」の際に敵前逃亡し、後に家康の怒りを買ったと伝えられる。また異母弟に「関ケ原の戦い」で西軍を裏切った小早川秀秋がいる。廊下の天井に血天井があります。

住所 京都市左京区大原勝林院町187番地
電話番号 075-744-2409
アクセス 「京都駅前」バス停留所にて、17系統・18系統に乗車いただき「大原」バス停留所まで約65分です。
拝観時間 9:00~17:00(受付終了は、16:30となります)
定休日
拝観料(茶菓付) 大人 800円 中・高 700円 小 600円

夜間拝観のみになる場合もございますので、イベント情報のページ等をご参照の上ご不明な点はお問合せください。
最新の情報は宝泉院オフィシャルサイトでご確認ください。

栄春寺(えいしゅんじ)

伏見城遺構の門や総構え(土塁)が唯一、現存する寺院。秀吉の命で植えられた孟宗竹がある。伏見城と同じように「慶長伏見地震」で崩壊するが、家康の家臣が妻を弔うために再興した。観音堂に「血天井」があります。

観光寺ではないようですので、血天井が観れるか事前にお問い合わせください。

住所 京都市伏見区桃山町丹下30番地
電話番号 075-641-2070
アクセス 近鉄「丹波橋」より歩いて10分
京阪「墨染」より歩いて7分
拝観時間 9:00~17:00
定休日
拝観料

最新の情報は栄春寺オフィシャルサイトでご確認ください。



京都で血に染まった天井がある寺はどこ?まとめ

「血天井」は秀吉と家康の双方に縁のある寺院につくられ、血天井は徳川家に忠義を尽くした家臣の血をもって作られたものとわかりました。
とても貴重な血天井。恐ろしくもありますが時代を物語るストーリーを味わいながら京都観光をしてみるのも良いかもしれませんね。

以上最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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