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笈川幸司中国カリスマ日本語教師は元芸人!経歴と現在の活動を調査

「笈川幸司」の画像検索結果こんにちは! マールです。

2019年「世界が尊敬する日本人100」羽生結弦 渡辺直美 イチローと共に選ばれた 中国のカリスマ日本語教師といわれる笈川幸司(おいかわこうじ)さんは、かつて売れないお笑い芸人だったってご存知でしょうか?

芸人から中国での日本語教師へ。
結びつきそうにもないい仕事で活躍され、そんなユニークな経歴のある笈川幸司さんに興味があり調べてみました。


笈川幸司さんは中国のカリスマ日本語教師となった理由は?

中国の東大といわれる北京大学や名門清華大学で笈川幸司さんは中国のカリスマ日本語教師として活動されています。中国に1万8000人もいると言われている日本語教師の中でトップを走る笈川幸司さん。何故お笑い芸人から中国に渡り、日本語教師になったのでしょうか?

笈川幸司さんが中国に渡った理由は?

笈川幸司さんが中国に渡ったのは2001年、31歳の時。遠距離恋愛をしていた中国人の女性と結婚するためだたそうです。彼女との出会いは、笈川幸司さんが大学卒業前に中国へ1年半の留学をしていた時でした。しばらく遠距離恋愛の関係を続けながら、国会議員秘書を経て、27歳で夢だったお笑い芸人の道を目指します。しかし、鳴かず飛ばずの芸人としての人生をあきらめ、逃げるように彼女と結婚するため北京へ飛びます。
5年半待たされていた彼女は、虫のいい笈川幸司さんの生き方に賛同できず。北京に着いた翌日に別れを告げます。辛い時期に追い打ちをかけるような大失恋。
あまりにもショックが大きく、病院で抗鬱剤を処方してもらう程となってしまいます。

笈川幸司さんが中国でのカリスマ日本語教師になるまでの経緯

笈川幸司さんは日本に帰国せず、中国で職探しをし始めます。翻訳の仕事を思いつくきその勉強の時間が確保できる日本語教師を知人から紹介をうけ、中国の大学で始めたのがきっかけとなります。しかし、実際は朝から深夜まで働く日本語教師の道を選びます。取材記事にこんなコメントがありました。

「それまでは楽をすることばかり考えていたが、夢を捨てて中国に行き、そこで『別れてください』と言われてからは、自分の価値観を捨てようと思った」と、笈川は当時を振り返る。「いつ死んでもいい。お金もいらない。もう価値のない人生だから、他人のために全部使おうと考えた」

笈川幸司さんの日本語指導法はコミュニケーション

まず、笈川幸司さんの日本語の教育法はとてもユニーク。
早朝に学生たちとジョギングをする。寮の自分の部屋をサロンのように開放して夜遅くまで語り合う……。そうしたコミュニケーションを主体とした教育法が評判となり、中国の名門清華大学や北京大学でも日本語を教える教師となっていきます。日本語の学習で悩んでいた男子学生に声をかけ、清華大学から天安門ぐらいまで、2人で3~4時間ずっと話しながら歩いたというその男子学生は、現在は東京で通訳の仕事をされているそうです。
笈川幸司さんとの出会いがあったから夢が実現できたのでしょうね。
中国では特に、教師から生徒への一方通行型の指導法が主流である中、生徒全員の名前を覚えて呼ぶという姿勢でコミュニケーションを重視した指導法がカリスマ教師となった理由なんですね。

笈川幸司さんの日本語教師としての現在は中国外でも大活躍

中国人は、日本語の読み書きはすんなりマスターするのですが、ナチュラルな発音するのが不得意なのだそうです。笈川幸司さんは他の日本語教師から学びながら独自の発音のメソッド、話の組み立て方、人前で緊張しないで話す方法という3本柱による授業で、北京の複数の大学で教え、日本語スピーチコンテストの優勝者を200人以上を輩出した実績を上げ、カリスマ教師として有名になりました。
それは、とにかく場をこなす事。協力してくれる日本人を探し、学生の日本語スピーチの感想や改良点をしてもらう。それが原点だったそうです。行動力抜群ですよね。

2011年から手弁当で中国各地の大学を回り、講演会や集中講義を行う活動を始めました。2014年には東京大学で日本語教育専門家たちの前で講演をしたり、タイ、ニュージーランド、ペルー、メキシコ、アメリカ、ハンガリー、フランス、イギリス、ロシア、チリ等講演会を30カ国で行っているそうです。関連画像2013年に独立し、現在は浙江省寧波で、10日間の特訓コースを開講。中国の10大学客員教授として集中講義を行ったり、講演や講演会や授業のため飛び回っておられるそうです。しかし、特訓コースで200人を相手にする対話授業をの結果、毎回7%程度の学生は期待どおりのレベルに到達できていないそうです。その7%の学生の上達方法を今も悩みながらメソッドを改良されているそうです。

2011年笈川幸司さんは日本人女性と結婚。なれそめは?

2011年7月28日に北九州市で奈弥さんと結婚された報告がご自身のブログで発表されていました。

【結婚の報告】 笈川幸司、奈弥(旧姓出口)

連日厳しい残暑が続いていますが、皆様、お元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます。
さて、去る7月28日北九州市戸畑区にて、わたくしたちは入籍いたしました。
これからは二人で助け合って暖かい家庭を築き、日中友好のために力を尽くして参ります。まだまだ未熟な二人ですが、今まで以上によろしくご指導の程お願い申し上げます。

平成23年8月吉日

笈川幸司、奈弥(旧姓出口)

当時笈川さんが41歳・奈弥さんが25歳という年の差婚。
奈弥さんも中国で日本語講師をしていた女性で、北京にて仕事を通じて知り合ったのがなれそめだそうです。日本語教師としての思いを理解してくれる伴侶との出会いがあってよかったですね。息子の「友志君」と娘の「菫(すみれ)ちゃん」という子宝にも恵まれたようです。


笈川幸司さん経歴のまとめ

名前:笈川 幸司(おいかわ こうじ)

生年月日:1970年4月20日

出身:埼玉県所沢市

学歴:日本大学文理学部教育学科卒業

職業:日本語教育家

北京日本学研究センターで音声学を研究中

ジャスロン(日本語学習サロン)代表

早稲田大学北京教育研究センター顧問

ACB朝日教学プロデューサー。

情勢不安な日本と中国ですが、2国間の橋渡しの役割としてこれからも活躍して欲しいですね。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。


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